言葉よりも大事なこと。
春爛漫が一転、ちょっと寒い・・・
皆さま、こんにちは!日曜日・月曜日は暖かくて本当に春のようでしたね。
いや、春だったのだ!!と思います(笑)
今朝はそんな暖かさが実りに拍車をかけた桃の木の写真を撮りました。(香里園周辺?)
薄暗く青い空を背景には撮れませんでしたが、なかなか綺麗でした(#^.^#)
さて、今回はなんとなく最近みたニュースで気になったものです。
捉え方の違いでしょうか・・・
それは、「障害」の“害”の漢字が害悪の害であり、障害者団体から嫌だとの声が上がった、立憲の川内氏が19日の衆院予算委員会で「障碍」と表記するよう見直しを求めたニュースでした。
26日に行われる文化審議会国語分科会なるもので、現在常用漢字ではない“碍”の漢字を常用漢字にすることが検討される見通しとのこと。
私自身、そういう議論が起こるたびに、確かに“害”というのはおかしいのでは、と思ったり、
いや、でも、今まで普通に使ってきたしな・・・と思ったり、特段差別とは関係なく言葉として使っていました。
実際、明治の頃は「障碍」が使われており、戦後に「障害」という言葉が使われ今に至ってきた次第です。
自治体ごとに“害”を使わずにひらがなを使うところも増えており、知らない間にいろいろな言葉の使い方として浸透しているんだな、というのが正直な感想です。
障害の害は確かに悪いイメージがありますが、この言葉を使うから正しくない、とかは違う気がして、
いろいろと調べていくうちに、2006年に国連総会で採択された「障害者の権利に関する条約」の「社会モデル」として、『社会こそが「障害」をつくっており、それを取り除くのは社会の責務である。この「社会モデル」の考え方に基づき、あえて“害”という言葉を隠してほしくない』という意見を発見しました。
障害の“害”は個人へ向けたものではなく、社会の側にあるものという認識です。
言葉だけで全てを語れるはずはない
確かに、言葉ではなくて、そのことについて真剣に考えていくこと、誰もが幸せに生きていける世の中を話し合うことが大事なのではないか。
「合理的配慮」という言葉があります。
様々なハンディを抱えた人たちにとって、どういう配慮が必要か、一人一人声を上げること、それを汲み取ること、話し合うこと、それがもっとよい社会になっていくことです。
あぁ、確かになぁ、と思いました。
自分だって、少ししんどいときに優しくされるとうれしいです。でも、「しんどい」と発しないと汲み取ってもらえないことの方が多い。
そんな時に一人でプリプリしても仕方がないので、うまく伝えることが大事です。
自分から発信していかないと伝わらないことだらけなので、そこを甘んじずにいきたいものです。
障害などは関係なく、人との付き合いは非常に難しいものです。心があるからでしょうか・・・。
でも、人がいるからこそ生きててよかった瞬間がたくさんあるので、人生は楽しいです(^^♪
では、また更新します!